イラク人質事件被害者の会見

会見を聞いてて「自己責任」についてのと捉え方がおかしいかった。カメラマンの彼が言う「責任」は、世の中で起こっていることを隠さず一般の人に伝える社会的な責務があり、それを自分が果たしている。それを果たす「責任」を私は持っているんだと言いたがっていた。(と、思った。)
でも今言われている「責任」と言うのは、私人の命についての「責任」。つまり問題は国民が命の危機にさらされた時、国がどこまで責任を持って対処するのか、もしくはどこまでやらなければいけないのか、ということである。国は税金使って救助活動をする。また今回は政策(自衛隊イラク派遣)までも変更を要求された。そもそも危険だから行くな、と言ってるのに行ったんだからもう「責任」はとらない。政策も変えないし、必死で救助もできないよ。「自分」で「責任」をとってください。これが今回の「自己責任論」だろう。結局この意味での自己責任について同思っているのか、伝えられていない。記者も意味が違うと問い直すべきだった。
カメラマン氏が言った意味での「責任」も今後考えていかなくてはならない。確かに現場で何が起きているか知りたいから。